宝塚「フライングサパ」感想|世界は理解できない悲しみに満ちているが、それでも生きる価値はある
もはや私が日本で一番好きな作家である宝塚の上田久美子先生の新作舞台「FLYING SAPA -フライング サパ-」(宙組公演)、拝見しました。大変素晴らしい本格SF作品でした。おうちで生配信を見られるなんていい時代だねぇ…
例の如く「宝塚でここまでやるか…!」というはみ出しっぷり。一生付いていきたい気持ちになりました。上田先生は宝塚のロックスターだと思う。
エンキ・ビラルの諸作品を参考にしたと聞いたときにはぶったまげたけど、舞台を見て、こういう事がしたかったのねと腑に落ちた思いです(勝手に)
推しポイント
アンビエントな音楽に、アースカラーな衣装
宝塚らしさの斜め上。天才でなきゃできない大冒険。音楽はドンヨリとした空気感を醸し、口ずさめるメロディもなければキラキラ光る衣装もない。暗い舞台上で抑えられた色味を纏い、淡々と的確に演じる役者たち。痺れるねぇ…
プロジェクションマッピングの演出がうまい
今回の舞台では人間の醜悪な部分、つまり「戦争の恐ろしさ」をきちんと表現する事が重要。そこにプロジェクションマッピングがうまく使われてて、例えば戦場を背景に男に追われるヒロインがシルエットだけになり、おぞましい悪事の決定的瞬間が…!という描写。すごい迫力だった。
当然だけど役者一人ひとりが上手
スポークスマンの無機質さ、年寄りの強さ、若者の傲慢さ。誰が何を表現すべきかハッキリ分かってるのが窺えて大変すばらしい。団体としての強さだと思う。
真風涼帆の存在感
アンニュイな雰囲気、力の抜けた振る舞い。宝塚の男役としては異例な、王道から外れた役柄でも、きちんと成立させてしまう存在感。あの渋さは真風さんにしか出せませんことよ!!!
星風まどかめっちゃ可愛い
どんな衣装も着こなしてしまうのが素晴らしい。腰が細すぎてCGキャラみたい。抑えた演技でも滲み出る愛らしさ。ヅラ、化粧、衣装でかなり印象を変えられる方なんだなと再発見。めっかわ。
ストーリーについて考察(ネタバレ)
ママのお腹に還りたい子供と、自由を目指して旅立つ孤児たち
地球を捨てた人類の新たな移住先、惑星ポルンカ。そこで生きるために不可欠な「へその緒デバイス」。ポルンカの総統が開発したこのデバイスを住民たちは必ず着用し、フィジカルデータから思想まで、全て中央機関「ミンナ」に送信する。デバイスを外すと生命維持すら出来ない。
(本来の意味の「へその緒」は、母親との繋がりの証。人は誰しも母親のお腹にいる時はへその緒で母親と繋がり、同一の存在として生きる。それがある日突然切り離され、社会の一員として世界に放り出されてしまう。たったひとりきりで。)
人類は何故地球を捨てなくてはならなかったのか。それはわかり合えない「他者」との争いの果てに、人類が世界を破壊してしまったから。
争いに疲れた人々のリーダーが目指すのは、「母親の胎内のような世界」を新しい星で構築すること。「もう僕疲れたからママ(ミンナ)のお腹に還るね!」
「へその緒デバイス」で「ミンナ」に繋がれる住民たち。思想は統制され、全ての「違い」は消え去り、あらゆる争いは予め封じ込められる。そこに「他者」は存在せず、世界と自己は完全に融合する、母親と胎児のように。完成されたユートピア。BADDYで言うところのピースフルプラネット(ピースで敬礼!)
さて、それは本当に幸福な世界だろうか?
記憶を奪われた男、記憶を探す女
記憶を奪われたポルンカの兵士である主人公オバクは、4年分しか記憶がない、いわば生まれたての赤ちゃんだ。彼は総統の娘と出会ったことをきっかけに、生き方について逡巡する。自分はどこから来て、どこへ向かうのか? そして、行けば願いが叶うとされる「サパ」目指して、総統の娘と旅に出る。それは母親との離別の旅だ。
ユートピアがそこにあるのに、どうして旅に出るんだろう? どんなに旅を続けても、「わかり合えない」ことがわかるだけだ。なんだか人は孤独を深めるためだけに生きているかのようだ。人は度々対立し、争いは絶えない。「他人」なんかいなければ。あぁ、ママのお腹に還りたい。
だけど、旅立つ事でしか「生きる」ことはできない。 自らを未知なる世界に差し出すのだ。 未知なる他人と生きよう。1から2へ、そして素数は無限なのだ!
「人は本当に理解し合うことは出来ない」
「好きだから違いが許せない」
「あなたを理解できなくて寂しい」
ベースが悲しみで出来てるようなくそったれな世界だが、私達は産み落とされたのだから、辛く苦しい人生を始めなければならない。わかりあえない他者と手を取り合い、失敗しても、いつか素晴らしい場所にたどり着けるはずだと、希望を信じて。自分の足で歩くと決めたなら、きっとママも、優しく手を振ってくれるよ。
SFの魅力が詰まってる
SFっていわば「壮大な例え話」で、ポルンカとか水星とか大げさな用語が飛び出すのって、見てる人が「物語を聞いている自分」になるためなんですよね。現実からいっとき抜け出して、俯瞰で世界を見つめ直す感覚。そうすることで、素朴な真実を発見できたりする。
SFはいつも、「旅に出ようぜ!」と背中を押してくれる。そういうたぐいの喜びがこの舞台にはあって、今回そこも大いに感動したところです。
ああー!劇場で見られますように!!!劇場でみたいよママー!!!
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