宝塚雪組「ほんものの魔法使」感想|役者さん最高、脚色が超不満!

宝塚雪組「ほんものの魔法使」感想|役者さん最高、脚色が超不満!

ずっと楽しみにしていた朝美絢さんの主演舞台。原作のポール・ギャリコも大好きになった私は・・・舞台を4回見て、「役者さん達は最高なのに脚色が解釈違いすぎて辛い!!」という結論に至りました。

朝美絢という人が美し過ぎて

主人公のアダムは人間離れした、ピュアで力強いキャラクターなので男役というよりPUCKに近い役作りだと思いますが素晴らしかったです。優しく笑ったりおちょけたり、複雑な思いが滲み出るときの表情など、その表現の豊かさが際立ってました。顔がよく動く役者さん、大好きです。そして美しいお顔立ち。国宝認定のうえ手厚く保護してください。2幕の衣装がシンプルでお顔の造形美を際立たせていて今世紀最大級の美でした。

モプシー(縣千)可愛すぎて

飼い主(アダム)の手に下からスポッと頭くっつけてナデナデしてもらう仕草とか、糸電話の紙コップに耳くっつけるときの表情とかどこで習得したのってくらいカワイイ!アニメ表現の犬って感じ。
縣千くんは体が本当に自由に動く人。ダンスが伸びやかで楽しそうで、そこも犬っぽくて完璧。
あと、ヅカオタの小説家の先生が縣くんについて「犬・・かわ・・・」ってツイートしてて、小説家でもカワイすぎると語彙力どっか行っちゃうんだなと思いました。

物語の改変(不満点)

原作にはない、アダム自身が「理解されない悲しみ、孤独」を歌うシーンが追加されていました。教授とダンテがピクニックについてきて、わざわざアダムに「君の魔法を市民は受け入れられないだろう」と警告をする。それにアダムがショックを受けて取り乱す。ここだけ浮いてる。やめて。原作でピクニックのシーンは重要なメッセージが託される物語の核なのに!そしてその核とは決して「人間性」とか「孤独」の話じゃないの!もっと大きい話!!!

パンフで木村先生はこの物語が「シザーハンズ」に似てる、って書いてたけど、あの物語の主人公エドワードは日陰者のティム・バートン監督が、不器用で社会に馴染めない「異物」としての自分を反映させた、かなり内省的なキャラクターなので、この物語におけるアダムとは意味合いが全然違う。

アダムは魔法で、未知なる可能性で、限りない想像力そのもの。多くの大人が手放してしまう「大切な何か」の象徴のような存在。そんな彼をジェインのように純真な心で受け入れるか、ニニアンのように怯えて遠ざけるか。そこが大きな分岐点。で、受け入れてもらえないからって取り乱したりしないだろ・・・。木村先生、物語の解釈が私と違いすぎて辛い。。。

一番気になるのは、木村先生が物語に登場する「男たち」に同情しすぎて物語のメインテーマが曖昧になっていること。原作は事実上ジェインが主人公で、女だというだけで不当に貶められていた彼女が、アダムに出会ったことで強く成長する物語なのだ。1966年、まだ性差別が当たり前のように横行するアメリカで、男性であるポール・ギャリコがそんな女の子たちの苦しみを想い、励ます物語を書いた事自体が感動的なのに。パパはもっと冷酷で、バカ兄貴は簡単に心変わりしない。男たちに夢を見ることすら禁じられたジェインの絶望を軽く扱わないでほしい。

原作ファンとしては納得の行かない脚色だった。最小限の言葉で最大限のワンダーを引き出す、ポール・ギャリコ作品の良さが・・・これが解釈違いってやつなのか、大変困惑しました。役者さんたちが本当に良かっただけに、残念です・・・